Bitonto


 

★目次

♬ビトント(Bitonto)

南イタリアのアドリア海側のアキレス腱あたりに位置するプーリア州ビトント市の紹介です。

Bitonto市地図

 ビトントはバーリの北に約60,000人の住民の町です。オリーブの木、それを囲む大規模なオリーブ畑とオリーブオイルの生産の町として知られています街の重要な経済資源です。
1734年5月26日、市内には、独立した国家として、ナポリの王国の誕生につながったオーストリア人とブルボン家の間で戦った歴史的な戦いの場面でした。
宮殿Sylos-VulpanoとSylosカロのようなロマネスク様式の大聖堂、ルネッサンス建築の貴重な例を含む多くの教会、と他の美しさの中で、素晴らしい観光地の文化の中心地となっています。

♬歴史と風土(Storia,Clima e Ambiente)

 ビトントの歴史は、新石器時代にまでさかのぼります。その古い起源は、この地に先住民の共同体があったことを示す洞窟やメンヒル(巨石建築物)によっても裏づけられています。
その後、ペウケティ族の重要な拠点となりましたが、6世紀以降は、マグナ・グラキア(古代ギリシア植民地)諸都市の影響下に入りました。
 古代ローマ時代にはローマの自治市となり、トライアーナ街道沿いにあったことから、プーリア地方の交通の要衝とされました。
ノルマン人に征服された11世紀から12世紀にかけて、ビトントは、政治、社会、文化の面で再生の時代を迎えました。新しい市壁が巡らされ、プーリア・ロマネスク様式の最も純粋な作例である大聖堂の建造が始まったのもこの頃です。
その後、アンジュー家の支配下に置かれた時代に、オリーヴオイルを基盤とした経済が発達し、その繁栄は17世紀まで続きました。ビトント産オリーヴオイルは、特にヴェネツィアの人々から珍重され、大きな需要があったのです。
17世紀は、ビトントにとって、まさに芸術が大輪の花を咲かせた時代でした。画家カルロ・ローザと彼の工房が、教会を絵画やフレスコ画で飾り、アカデミア・デリ・インフィアマーティが文学界や文化活動を支援しました。また、音楽家トンマーゾ・トラエッタ、数学者ヴィターレ・ジョルダーノといった傑出した人物を輩出しています。一方、ヴルパーノ、シロス・カロ、ロガデオ、デ・レルマ、ボーヴェ、レーニャといった新しい貴族階級は、この町に数多くの壮麗な館を築きました。1734年5月26日、ビトントはオーストリア軍とブルボン王家軍との間の歴史的な戦いの舞台となりました。この戦いの後、ナポリ王国が誕生し、イタリア統一への第一歩が踏み出されたのです。

♬芸術と文化(Arte e Cultura)

ビトント市では数多くの文化事業を推進しています。たとえば、デ・パーロ/ウンガロ財団の考古学博物館。ここでは、二つの重要な常設展示、「ビトントの古代ペウケティ族」と「ルーヴォとビトントの女性と戦士たち」を見ることができます。そして、「トラエッタ・オペラ・フェスティバル」。ビトント出身の音楽家トンマーゾ・トラエッタの作品を再発見し、そのすばらしい音楽を紹介するために、2005年に創設されました。トンマーゾ・トラエッタ市立劇場では数多くのイベントが開催されています。
今年で13年目になるトラエッタ・オペラ・フェスティバルでは、バーリ・チッタメトロポリターナ・シンフォニー・オーケストラの協力も得て、本年度は4月から10月まで27回の演奏会を開催し、ビトント市を中心にプーリア州だけでなく東京やマドリッドなど、国際的に活動の場を広げています。