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♬市立劇場「トンマーゾ・トラエッタ」

Teatro Comunale Tommaso Traetta
 <トンマーゾ・トラエッタ市立劇場の歴史>

 その昔「ウンベルト1世」という名称であった「トラエッタ劇場」は、昔ビトントの東の境界線にあり、19世紀頃、私有庭地として使われ、ノルマン・アンジュー王朝の城壁と現在でも見えるその次の城壁の間に建てられたもので、後者の城壁はヴォルタ通りに面する劇場の外壁に組み込まれた形になっています。
 本劇場は、ビトントの21もの貴族の家族とビトントのピエトロとエマヌエーレ・サンニカンドロ、無名の主任技師の指導の下に1835年から1838年にかけて建てられたものです。口碑によると、技師はナポリの建築家だといわれています。当時はバーリ県の多くの劇場は設計、装飾などがナポリ出身の建築家によってデザインされていました。
シロス・ラビーニ技師は、「ビトントの歴史」において、ナポリ派のルイージ・カステッルッチ建築家を「ウンベルト1世」劇場の設計図者とみなしています。
本劇場の建造は、蹄鉄の形をした何列もの桟敷で構成されたイタリアの典型的な劇場です。
細かな事ですが桟敷が3列でありました。
 a)1階と2階席は、桟敷で分割され、21の貴族の家族が座っていた席;
 b)3階席は、分割されず、(入場料を)支払う観客席;
 c)「天井桟敷」といわれた4階席は、平民で、平土間席のテラスに通じる小さくて独立した階段を上がり到達できる席がありました。
 最初の第3階席は、劇場の縦軸に対称となる2つの相似の石階段があり、250人分の座席があり、多くなくてもビトント住民に丁度よいものでした。1838年に劇場の工事が完成し、復活祭の際、4月15日にドニゼッティ作曲「パリジーナ」で開会式が行われました。バーリ県の劇場を登記する1862年の書類によって、この頃はまだ「ウンベルト1世」の名を冠していましたが、本劇場はあまり使われていなかったことがわかります。
30年代頃、いわゆる「天井桟敷」に配置された投影機があった為、映画館としても使用されていたこともあります。50年代半ば頃になり映画館としてもあまり使われなくなり、本劇場はどんどん破壊していき、1972年2月25日に平土間席の天井が倒潰してしまいました。
 そこで、ビトント市が買いとり、廃墟を再構築することにし、1990年の3月にドメーニコ・パジエンザとフランチェスコ・カルボーネ建築家、モデスト・ロジート、ヴィンチェンゾ・ガッリアーニとジョヴァンニ・タツゥッリ技師の起草した実行プランが改訂された後、ビトント市は、カプアの「ヴィンチェンゾ・モヅゥーニョ」有限会社に「ウンベルト1世」劇場の再構築を任せました。1998年6月19日に、その間亡くなったガッリアーニ技師以外の上記の設計者の指導の下に工事が始まり、本劇場は、2005年4月16日に第一回「トラエッタ・オペラ・フェスティバル」トンマーゾ・トラエッタ作曲「遍歴騎士」上演され(トンマーゾ・トラエッタ劇場として)再開しました。