G.ヴェルディと『レクエイム』   
 G.ヴェルディ
 

1886年の肖像。
ジョヴァンニ・ボルディーニによる肖像画

署名



半島つけ根内陸の赤い部分がタロ
(Taro)地区


 
ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ
          (Giuseppe Fortunino Francesco Verdi)
■出生名
ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ
Joseph Fortuninus Franciscus Verdi
■生誕
1813年10月10日
Flag of the Duchy of Parma.svg
パルマ公国、レ・ロンコーレ村(英語版)
■死没
1901年1月27日(満87歳没)
イタリア王国の旗 イタリア王国、ミラノ
■ジャンル
ロマン派音楽
■活動期間
1842年 - 1893年
■公式サイト
http://www.giuseppeverdi.it/


 19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家であり、
主にオペラを制作した。
 代表作は『ナブッコ』、『リゴレット』、『椿姫』、『アイーダ』などがある。彼の作品は世界中のオペラハウスで演じられ、またジャンルを超えた展開を見せつつ大衆文化に広く根付いている。ヴェルディの活動はイタリア・オペラに変革をもたらし、現代に至る最も重要な人物と評される 1962年から1981年まで、1000リレ
(リラの複数形)紙幣に肖像が採用されていた。 
 ヴェルディは、父カルロ・ジュゼッペ・ヴェルディと母ルイジア・ウッティーニの間に初めての子供として生まれ、後に妹も生まれた。生誕地はブッセート近郊の小村レ・ロンコーレ村(英語版)だが、ここはパルマ公国を併合したフランス第一帝政のタロ地区(英語版)に組み込まれていた。彼はカトリック教会で洗礼を受け、ヨセフ・フォルトゥニヌス・フランシスクス (Joseph Fortuninus Franciscus) のラテン名を受けた。
ウィッキペディアより
 
 
 『レクイエム』 
 ジュゼッペ・ヴェルディの作曲したレクイエム
(原題:Messa da Requiem per l'anniversario della morte di Manzoni )
 「マンゾーニの命日を記念するためのレクイエム」)は、カトリックのミサ曲のひとつである。イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニを追悼する目的で作曲され、マンゾーニの一周忌にあたる1874年5月22日、ミラノ、サン・マルコ教会で初演された。
しばしば、モーツァルト、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられると共に、後述のとおり(好悪両面において)「最も華麗なレクイエム」と評される。

前史:「ロッシーニのためのレクイエム」[編集]
 ヴェルディが宗教曲を手がけるのは、この「レクイエム」が最初ではなかった。オペラ作曲家として身を起こす以前の1830年代前半、故郷ブッセートの教会のためにいくつかの作曲を行っていることが知られている。ただしその殆どは散逸し、演奏されることはない。
 また、ヴェルディは1868年に死去した大オペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニを記念する「ロッシーニのためのレクイエム」を協同で作曲することを他のイタリア人作曲家(ヴェルディを除いて12人)に提案している。専門委員会が組織され、演奏日時はその一周忌にあたる1869年11月13日に、会場はロッシーニの育ったボローニャのサン・ペトロニオ教会に、と決定した。ヴェルディ自身は(彼自身が半ば強引に決定した)自分の担当部分「リベラ・メ」をいち早く作曲したが、他作曲家が遅れがちであったこと、ボローニャの歌劇場支配人が無給の奉仕公演に難色を示し、通常のオペラ公演を優先する態度をとったことなどが原因となって計画は難航した。その後場所を改めてミラノで演奏する、あるいは日時を繰り延べてボローニャで演奏する、などの打開策が検討されたが、最終的にはこの「ロッシーニ・レクイエム」計画は放棄された。 ※ウィッキペディアより
 

 


『レクイエム(Messa da Requiem)』
楽譜初版冊子表紙